政策方針

健全な社会を取り戻すため
 
今後の課題は社会の改革
 5年余の小泉内閣、小泉改革に対する評価はいろいろあろうが、破綻状態の経済を回復させたことと改革の流れを作ったこと、特にあらゆる分野について今までの考えを見直し、改革していこうという方向をゆるぎないものとした功績は賞賛されるべきである。この成果を踏まえ、今後の方向について、きちんとした改革の議論をしていくことが、我々に課された責任である。
 これまでの改革は、危機的状況にあった経済の回復に向けた観点からのものが中心であったが、今後さらに改革を進めていくにあたっては、経済の観点だけからではなく、社会(生活)のあり方の観点からの見直し・改革の議論をすべきである。
 それは、戦後61年を経た今日、忌まわしい事件が頻発するなど、どうにもおかしい社会になったと、みんなが感じるようになっているからである。
 経済については「失われた10年」などといわれるが、社会・生活については「失われた60年」ということができる。我々の生活のあり方、とりわけ生活の基盤をなす家族、地域(町内会)という社会のあり方は、まるで変わってしまった。
 これでいいのか、みんなで考えていくべき時期ではないだろうか。すなわち、経済、外交といった国家のあり方の改革とあわせて、社会(生活)のあり方の改革が必要になっていると思う。
経済優先、個人優先でいいか
 その場合に重要なことは、今まで当然としてきたことを前提にしない、「聖域なし」という改革の基本である。戦後の一貫した至上命題は、経済発展と個人の権利拡大・社会福祉の充実であり、それが最優先されてきた。
 これからの改革は、我が国が基本としてきた経済優先、個人優先に踏み込んで、あらゆる分野を見直す姿勢が必要である。それでこそ、戦後社会からの脱却ができる。
 最近議論されている「働き方の見直し」について、この観点から考えてみたい。
 働き方を見直そうという議論は、いろんな観点から提起されている。
 人口減少下での労働力確保、産業、社会構造の変化への対応、国際競争力の確保、出生率の向上、格差是正、社会保障、男女共同参画、労働者保護、労働条件確保など、さまざまな観点からの議論である。
 また、ホワイトカラー・エグゼンプション(自律的労働、使用者の残業手当の支払い義務を緩和する制度)、ワークライフバランス(仕事と生活の調和)などの言葉がもてはやされ、ニート・フリーター、パートの均等処遇、非正規労働、サービス残業、偽装請負などの問題解決に向け、労働時間規制、雇用形態、社会保険適用、賃金水準などが議論されている。
 これらの議論は、おおざっぱに言えば、企業からの経営効率を上げることを目的とする議論と、労働者からの自由と権利を確保することを目的とする議論に分かれる。その結果、労使の対立に終始しているのが現状である。
 これは、戦後一貫して行われてきた図式といえる。当然といえば当然で、企業はその必要な時に必要な分だけ働いてもらい、その分についてのみ、できるだけ少ない賃金を支払う方が都合がよいし、労働者はできるだけ自由に、多い賃金で働く方が都合がよいから、双方の目的は相反することになる。
 このため、例えば就業形態の多様化、経営環境、社会情勢の変化に対応するため、あるいは仕事と家庭生活が両立できるようにするため、働き方を見直す必要があることについては一致しても、具体的にどうするかとなると、まるで違う意見となるのである。
 現在、厚生労働省において労働契約法制及び労働時間法制の検討が行われているが、労使の対立の調整は難航している。
家族・地域の再生のための見直しを
 働き方を考えるうえで、経済(企業)の維持発展、個人の自由・権利の確保が損なわれないようにしなければならないことはいうまでもない。しかし、この二つだけを考えるだけでいいのだろうか。働くことはすべての生活の基盤である以上、企業と個人のみを優先して考えていいのだろうか。
 大事なことが忘れられているのではないか、そのことがおかしな社会の原因となっているのではないか、と考えてみた。
 そう考えると、経済優先、個人優先の働き方を追求してきた結果、健全な家族・地域の破綻が生じたのではないか、という不安に行き着く。いかに企業が大事であろうと、深夜まで働き続けたり、家族が一緒に食事することができないというのはおかしい。
 いかに個人が大事であろうと、地域(町内会)の共同作業に参加できない、しなくていいというのはおかしい。そんなことが家族・地域のきずなを崩壊させ、少子化を招き、ぎすぎすした社会、果ては忌まわしい事件の頻発をもたらした、といえる。
 これから行われる働き方の見直しに当たっては、まず、何のための見直しなのかを考える必要がある。今までのように、企業の経営の効率性・合理性や、労働者の権利向上のためだけの見直しではなく、何よりも健全な社会を取り戻すための見直しであるべきである。
 家族や地域の崩壊は社会の問題であって、個人や企業の問題ではない。働き方の見直しは経済優先、個人優先ではなく、そういう異常な社会を健全なものに再生することを最優先して取り組んでもらいたいものである。
 家庭、家族が一緒に過ごせる時間がないような社会、住民が町内活動に参加できない社会は健全とはいえない。企業経営に支障をきたすところがあっても、健全な社会の実現を優先するという観点から、労使の対立を超えた働き方の見直しでなければならない。
(人材ビジネス 2006年10月1日/vol.243 連載第5回 永田町から より)