| よく聞かれること |
みなさんから、内閣官房副長官から法務大臣になって「忙しくなったでしょう」「自分の時間がなくなって大変でしょう」とよく言われる。
祝意として言っていただいているのであるし、そうには違いないのだが、そのように紋切り型で言われると、何か違和感を覚える。好意なのだから、素直に「大変ですよ」と答えることにしているが、根がひねくれているせいか、「今までと変わりありませんよ」と反発してみたくもなる。「1日は誰でも24時間しかないのですから、みんな、同じように忙しいものですよ」と余計なことを付け加えてしまったりする。それで相手に怪訝(けげん)な顔をされたりして、まずかったかな、と反省したりするハメになる。
私が衆議院議員になったときも、「役人時代と違って忙しくなったでしょう」とよく聞かれた。この質問には「役人は楽な仕事」というイメージがあり、「国会議員は年中走り回らなければならない」というイメージがあるからだろう。
役人上がりの国会議員の全員がそうかどうかはわからないが、私にとっては役人時代のほうが忙しかったような気がする。仕事のために朝早くから出るのは普通で、徹夜もたびたびだったと思う。選挙をすることになって、走り回る生活になったのはそのとおりだが、選挙は選挙民の方々の時間に合わせることになるので、毎日朝早くとか毎日徹夜ということはない。それで、「肉体的には役人時代のほうが大変でしたが、精神的には選挙に出ることになってからの方が大変です」などと意味不明の話をしていたが、みなさん、納得しないような顔をしていた。
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| 忙しい、大変とは |
忙しい、大変というのは、一般には職務・仕事に必要な時間と責任の範囲、重さに関連して言われるのであろうが、結局は、本人がそう感じるかどうかの問題で、他人にはわからないことであろう。
私についていえば、公務員になって以来、責任の重さ、職務の範囲・内容は変わったが、その時々の仕事に全力で取り組んできたので、全体としての大変さ、忙しさが変わったと感じたことはない。職務に使う時間はいつも変わらなかったので、私にとって忙しいと感じるかどうかは、時間数よりも職務のスケジュールを自分で決められる割合の多い少ないにかかわるような気がする。その意味では、責任ある立場のほうが自由度がおおくなるのが一般的だが、責任の範囲もさまざまだから、必ずしもそうとは限らない。
官房副長官は官房長官の補佐役として政府内の調整、与党との調整が役割。だから、内閣、政府・与党の重要な会議への陪席に固定的な時間をとられることが多かったが、国会で答弁することは少なかった。法務大臣になって、閣議などを除き、政府・与党の会議に拘束される割合は少なくなったが、国会への出席・答弁に拘束されることが多くなった。
本会議、委員会に出席して答弁する時間だけでなく、答弁のための勉強の時間を含むから、国会開会中はほとんどの時間をこのために費やすことになる。
責任の重さについていえば、法務大臣の方が責任が重いのは当然で、所管事項について責任ある判断をするため、説明を聞き、議論する時間もかかるし緊張した毎日である。しかし、官房副長官は責任が軽いとしても、その範囲が政府全体に及ぶという意味では大変だった。
同じ大臣といっても、それぞれの大変さは異なるが、どの方も大変なのだろうと思う。外国との関係、関連団体との関係に時間を拘束される大臣もおられると思う。単純に忙しいか、大変かと聞かれても困るのである。それにしても総理大臣、官房長官は格別なのではないかと拝察している。
「自由な時間がないでしょう」ともよく言われる。自由な時間が多い方が大変ではない、ということなのだろうが、自由な時間の意味は難しい。単純にいえば、仕事と関係のない時間ということであろう。とすると、仕事が面白くて仕方のない私のような者にとっては、仕事も自由な時間ということになるので、これも答えに窮することになる。
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| 「相手も大変だな」と思うこと |
誰でもそうだが、やっている人とそれを外で見ている人とには、どうしてもズレが生じるものだ。他人の方が楽に見えることが多いが、何によらず、他人のことは本人でなければわからない、というのが本当のところだろう。
「楽は下にあり」などという言葉もあるが、下も上も楽ではないのであって、苦労の中味、場面が違うということ。それぞれが役割分担し合ってこそ、社会が成り立つのであって、「それぞれに大変なんだ」と相手を思いやることが大事だと思う。
役人は民間より楽をしている、社長は社員よりいい思いをしている。逆に、民間は役人と違って責任が問われないから楽だ、社長は社員のために働かされているようなものだ…。そうした言い方を聞くことがあるが、相手のことをそんなふうに言うのは気楽ではあるが、お互いにそんなことを言い合ってもいいことはない。
自分はともかく相手も大変だ、と思い合う社会でありたいものだ。自分が大変なことを言い合うのではなく、相手が大変だと理解するようにつとめればイライラしないですむ。「そんなことは、苦労していないから言えるのだ」と反論されそうだが、そう言われないように精励したい。
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| (人材ビジネス 2007年5月1日/vol.250 連載第12回 永田町から より) |