政策方針

「まっすぐの」人生を生きる
子供のころから変わらぬ信条
 
「まっすぐ」とは…模索の日々
 若いころの仲間と昔話をするのは、楽しい。そんな機会に、皆から「長勢の考えは、子どものころとほとんど変わっていない。この問題ならこう言うだろうと、聞かないうちからわかる」と言われる。
 私自身も、子どものころと同じように考えているように思う。知識は増えているに違いないが、考える基本はまるで進歩がない。これを誇りにしている風すらある。自分のことではあるが、どうしてこんなことになったのかを考えるのは、かなり面白い作業である。
 私は小さいころ、なんとしても「まっすぐ」の人生を送りたい、「まっすぐの」人生を送るにはどうしたらいいかと考えていた。そんなことを考えるようになったのは、「間違ったことをするな」とか、「世間に恥ずかしくない人間になれ」などと祖父や父母などに教育されたからであろう。
 しかし、まっすぐ生きるということはなかなか難問である。「まっすぐ」の定義も不明確だし、「まっすぐ」の評価もよくわからない。知識が増加するに従って、悩みは深くなる。自分はまっすぐ生きられるのだろうかと真剣に悩んだ。
 自分が正しいと思うことはいくつもあり、それには矛盾することも多い。それでも、自分なりにまっすぐの人生にしたいと思い続けた。
 どうしたらいいか。ある時、はたと名案を思いついた。まっすぐとは直線である。直線は点と点を結んだものをいう。とすれば、過去を振り返れば、まっすぐの道を歩いているかどうかがわかるのではないか。そこで私は、後ろ向きに生きることにした。しかし、後ろ向きに進むとは、不自然なことである(最近、後ろ向きに歩くのは血圧によい、という説があるそうだが)。
 大体、後ろ向きでは安全を見定めることはできない。それでも、後ろ向きに進むことを決断した。万一、前が崖であれば、後ろ向きに進んでいたのでは崖に落ちてしまう。その場合には、崖に落ちることが自分の人生であり、それを覚悟することがまっすぐに生きることだということにした。
 もうひとつ、まっすぐ進むためには、いろんなことにとらわれてはいけない。これもした、あれもしたいと思ったり、あれがいい、これがいいと迷ったりしていては、どこへ行くかわからない。
ぴったり処世訓「慎重敢為」
 何かの時に父の教えが思い浮かんだ。父は私が小さいころ、「見ざる、聞かざる、言わざる」を教えてくれた。敗戦の悔しさ、その中で生きる道というものを表していたのかもしれない。いずれにしても、小学生の私の机には安物の三猿の置物があった。そのうち壊れたか、なくなってしまったが、懐かしく思い出される。
 中学生までそんな感じだったが、高校生活は人生で一番落ち着いた時代であった。校訓は「慎重自らを持し、敢為事に当たる(慎重敢為)」というもの。沈思黙考・果断行動を身上とする私にぴったり。私の処世訓である。
 大学に入って、改めて自分は正しい道を歩んでいるのかという不安に悩まされた。いわゆる60年安保の後のころである。その時、学んだことは「人間には真理はわからない、というのが真理である」ということであった。
 そこで、自分には何が正しいか判るはずがない以上、自分が正しいと感ずることを一生懸命やることが天から与えられた役割であり、その役割を持って生かされているのだということにした。
 その役割がなくなれば死んでいるはずだから、生きている以上、自分が正しいと思うことが正しい、と思うことにした。これは私だけでなく、すべての人に当てはまること。私と違う考えの人でも、存在する以上はすべて正しい、と考えることにした。一人ひとり役割が違うのであろうから、それぞれ、その与えられた役割を果たすべく、全力を尽くすことが正しいと考えることにした。私もその一人ということである。
 かくして私の生き方は決まった。基本は、「崖に落ちることを覚悟して後ろ向きに進む」「見ざる、聞かざる、言わざる。時流に流されず自分で考える」「慎重敢為。自分で考え、正しいと感ずることを命がけで行う」「自分が正しいとは限らないのであるから、間違っているなら殺されてもやむをえない」というのである。始まりの「崖に落ちることを覚悟する」と、終わりの「殺されてもやむをえない」がきちんと合っているではないか。
 芝居などで「さあ、突くなり斬るなり、勝手にしやがれ」と大の字になる場面があるが、それに似た随分乱暴な生き方かもしれないが、これから変わることもなかろう。
役割があって生かされる
 行政官として、政治家として、多くの問題に取り組んできたが、どの時も、子どものころに描いた自分を外れないようにしてきたつもりである。何よりも、自分が正しいと考えることは正しくないのではないか、他の意見が正しいのではないか、ということを大事にしている。
 自分も含めて、すべて正しいものもいないし、すべて間違っているものもいないのが通常である。自分は自分の正しいと感ずるものを主張し、実現しようと努めるだけであり、それを怠ることは許されず、それを超えることもあってはならないと自戒している。
 こんな調子だから、皆から「子どものころと同じことを言っている」と言われるのも不思議ではない。役割があって生かされていることを信じ、まっすぐな気持ちを持ち続けて法務大臣の役割を果たしていきたい。
(人材ビジネス 2007年6月1日/vol.251 連載第1回 続・永田町から より)